「広安里」7月号から

ナザレ園訪問に学ぶ
釜山日本人学校 校長 長 信宏

釜山日本人学校にとって、ナザレ園訪問は最も大切な行事のひとつです。今年は、6月21日に児童生徒と教職員全員で、慶州ナザレ園を訪問しました。ナザレ園は、太平洋戦争や朝鮮戦争の混乱のなかで、日本への帰国の機会を失った日本人女性を保護・支援するためにつくられた施設です。園長の宋美虎(ソン・ミホ)先生からお聞きした話では、かつてこの施設から147名の方々が日本に帰国されたそうです。ただ、皆さんご高齢となり、この38年間は帰国した方はおられず、終の棲家としての役割が高くなっています。現在は身寄りを失うなどした9人の方々が静かに暮らしておられます。平均年齢は95歳。認知症や寝たきりの人も多いとのことで、交流会に参加できる方は3人です。お昼のお祈りの時間をいつもより早めていただき、午後2時からの発表会開始でした。客席は、日本人女性だけでなく、同じ敷地内にある施設で生活している韓国人高齢者の皆さん、そのお世話をしているスタッフの皆さんで満員でした。小学部・中学部の子どもたちが、それぞれ出し物を披露した後、子どもたちがおばあさん方の近くに行き、手遊び交流を行いました。嬉しそうに歌に合わせて手や身体を動かしてくださる方、子どもの手を取って離さない方、子どもとのおしゃべりに夢中になっている方等々、密度の高い幸せな空気に包まれた時間でした。最後に、子どもたち全員で韓国童謡「コヒャンエポム」と日本唱歌「ふるさと」を合唱しました。アンコールを求めたおばあさん方がいっしょに歌われる姿に、歴史は過去ではなく現在そのものだと感じさせられました。また、子どもたちの持つエネルギーと可能性が、固定概念や未来を変えうると実感させられた瞬間でもありました。

釜山日本人学校では、慶州訪問本番の一か月前の事前確認の際、教職員がナザレ園納骨堂を訪れ清掃と慰霊を行うことが伝統となっています。ナザレ園納骨堂は、慶州中心部から40分ほどの港町、甘浦(カンポ)に位置します。納骨堂の存在を示す道路表示等はまったくなく、個人ではなかなかたどり着けない場所です。日本人学校に赴任したばかりの文科省派遣教員には、ここを訪れ、日韓の歴史の変遷を肌で感じてもらうようにしています。お墓からは日本海が臨まれ、その向こうは日本へと続いています。正面の石碑を見ると、この地で人生を終えた皆さんの想いがしのばれます。

過去に勤務していました日本人学校でも、ここ釜山と同様にその地でしか仕組めない授業が行われていました。ニューヨーク日本人学校はユダヤ人学校と敷地・校舎を共用していましたので、ユダヤ人大学教授から日本人学校児童生徒に特別講演を行っていただきました。シルビア・スモーラー博士の、杉原千畝外交官から発給された通過ビザでシベリアそして日本の敦賀を経てアメリカに脱出した話に、子どもたちが目を輝かせて聞き入っていた姿が忘れられません。また、バンコク日本人学校では、子どもたちとバンコク北部のアユタヤを訪れました。日本人町の跡地に実際に立ち、山田長政像に接し、教科書に載っている南シナ海を小さな船で渡った先人の知恵と勇敢さを肌で感じることができました。

令和元年度第1学期は、7月19日で終業いたします。第2学期は8月26日の始業となります。2学期も子どもたちの「自己肯定感」を更に高められる授業や行事を積極的に実施していきたいと考えております。引き続き、関係機関の皆様、保護者の皆様のご理解とご支援をよろしくお願いいたします。

2019年07月19日